Yezo Brown Bear Lab

母の愛に熊もたじろぐ

北海道熊物語

大正10年晩秋の収穫時期のこと北見国網走を去る二里ピツトカリ部落のできごとでした。
付近に頻々と熊が出ると言うのでその日部落民が大勢で手に手に銃や武器を持って熊のひそんでいると言う大木や熊笹の密生した谷間を遠巻きにして、ひたひたと小高い丘の方へ熊を追いつめていました。

ところが、この山の上では若い移民の妻女は稲黍刈りに夢中になってこの騒ぎに気がつきませんでした。大勢の人がいるのでたいして気にもかけなかったのでしょう。
付近の古株のねもとには三歳くらいの女の子がねんねこに包まれて無心に遊んでいました。
そこへ追いつめられた熊がのっそりと出て来たのです。

熊もびっくりしたのか子供の前にすっくと立ち上がり、一撃を加えようとした間一髪―――五間程離れて仕事をしていた母親がこのありさまを見てびっくり仰天、狂気のように走りよって、むずとばかり我が子を抱きかかえ、後を見ずに逃げ去りました。
熊も一瞬だじろいだと言います。
奇跡と言いますか神の助けと申しますか、母も子も無事でした。

後を追いかけて来た猟師たちもこの事実をまのあたりに見て、静かに去って行く熊と、驚きに泣きじゃくる妻とを見比べ、遂にはその日は撃たなかったと言います。
その熊は非常に動作がのろくて猟師達は病熊であろうと言っていましたが、私たちはそう考えたくないと思います。

山の神獣と祟ばれている熊、大きな図体に似合わない賢い熊のこと、鬼神も避ける母の愛に打たれて手出しを控えたのだろうと考えたいのです。

(旭川市 I氏)

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