手を合わす熊
おそらく明治38年頃、陽の目も見えない樹林の中へ入って元気一杯で働いた開拓者の中に斎藤という人がいた。
以前に東京角力に入っていたという体格のがっちりした偉丈夫で、とても気が荒かった。
ある日、みんなで共同作業をして働いていた。
突然「あれ熊であんめいかしら?」と誰かが言った。 皆「どれどれ」と見ると、熊が今沢伝いに山を登ろうとするところだった。
斎藤は「そら、みんなこいよ」と銃を持って真っ先に走り出した。
一緒に働いていた男達も笹刈鎌やまさかりを 持って斎藤に続いた。
熊はその気配に気付くと、谷を真っ直ぐに山へ登ろうと企てた。
ところがその上の方は笹がすっかり刈り取られてあるため、姿が丸見え。
こっちからはかけ声勇ましく熊に迫って行く。
ところがどうしたものかその熊は少しも敵対する様子がなく、しきりに逃げよう逃げようとするのだった。
やがて、熊はとある洞穴のところへ追いつめられてしまった。
もう逃げる事もどうすることもできない。
ともかく中へ入ってしまった。そして向きをかえて立ち止まった。
逃げる 一同も立ち止まった。 よく見ると熊が手を合わせているではないか。
親父や伯父は撃つなと言ったのだが、 斎藤は撃ってしまった。
右腕の上を外から射抜いた。
すると今度は左手だけを上げて拝むような格好をしているのだ。
「手を合わす熊はとんないもんだちゅうから撃たねえもんだ。」と伯父が言った。
「なに、糞!」斎藤は首を射抜いてしまった。
あばれない熊をうつのだから、こんなにたやすいことはない。
斎藤は「もう熊獲りは止めた。」と言ったそうだ。
斎藤はその後さっぱり良い事がなくついに樺太へ行ったが、どうしているのか消息は少しもないとのことだ。