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被害者が多いヒグマの事件

同一個体(同じヒグマ)による死亡者、負傷者が多い事件をまとめてみました。
やはり被害者が多いのは開拓時代の苫前三毛別、沼田、札幌丘珠です。

死亡者が多い事件と加害グマ

死亡者が2名以上の事件です。死者が多い事件順に並べています。

  1. 1915 苫前三毛別事件:死亡者8名/オス♂ 7~8歳 2.5m 340kg
  2. 1923 幌新沼田事件:死亡者5名/オス♂ 成獣 1.93m 200kg
  3. 1878 札幌丘珠事件:死亡者3名/オス♂ 成獣 1.9m
  4. 1970 日高福岡大事件:死亡者3名/メス♀ 2歳若グマ 1.31m
  5. 1976 千歳市風不死岳山菜採り:死亡者2名/メス♀ 2歳若グマ
  6. 1977 大成町山菜・釣り:死亡者2名/メス♀ 4歳若グマ 1.67m

やはり圧倒的に死者を出すのは巨体のオス成獣ですね。
上位3件ともに体長1.9m以上のオスの巨大グマです。
沼田のクマは狩猟者と討伐隊士を返り討ちにする強さです。

オス成獣の三毛別と丘珠は手負いグマで、沼田は排除目的。
残りはすべてメスの若グマとなっています。
日高福岡大カムエクは登山者のミスと若グマの不安定さから。
千歳、大成は山菜、釣りとヒグマ被害が多いアウトドアです。

※当サイトでは2~4歳を若グマ(亜成獣)としています。
ヒグマの年齢に関する記事は以下をご覧ください。

ヒグマの年齢
ヒグマは何歳からおとな(成獣)なのでしょう? そして何歳くらいまで生きるのでしょうか? 長寿のヒグマは何歳まで生きたのでしょう?

合計被害者が多い事件

合計被害者(死亡者・負傷者合算)が多い順位並べてみました。

  1. 1915 苫前三毛別事件:死亡者8名+負傷者2名=計10名/オス♂ 成獣
  2. 1923 幌新沼田事件:死亡者5名+負傷者3名=計8名/オス♂ 成獣
  3. 1878 札幌丘珠事件:死亡者3名+負傷者2名=計5名/オス♂ 成獣
  4. 1976 千歳市山菜採り:死亡者2名+負傷者3名=計5名/メス♀ 2歳
  5. 1970 日高福岡大事件:死亡者3名+負傷者0名=計3名/メス♀ 2歳
  6. 1875 虻田郡民家:死亡者1名+負傷者2名=計3名/不明
  7. 1999 木古内山菜・釣り:死亡者1名+負傷者2名=計3名/オス♂ 3歳
  8. 1977 大成町山菜・釣り:死亡者2名+負傷者0名=計2名/メス♀ 4歳

1875年の虻田は民家にヒグマが侵入してきたもので、加害グマは不明。
丘珠(1878)、三毛別(1815)、虻田(1875)と古い事件は民家に侵入してきています。

加害グマは三毛別、沼田、丘珠以外はすべて若グマであるということ。
そして、山菜採りと釣りでの事件が目立ちます。

クマはなぜ人を襲ったのか

ヒグマの加害理由についてまとめてみたいと思います。

ヒグマ4大事件の加害理由

三毛別は冬眠前の食いだめが足りず人里に下りてきた個体。(巨体のため穴持たずとの話も)
民家の軒先に吊るされていたトウモロコシを食べて、人里に餌付いていた。
それが、猟師の撃ちもらしで手負いとなり凶暴化。その後民家に侵入し人を食害。

沼田はヒグマが埋めていた(ヒグマは獲物を安全な場所に移動し埋めておく習性がある)馬のそばを人間が通過し、自分の食料を守るために人間を攻撃。
自分の食料だとみなしたものに固執し防御しようとするヒグマの習性です。
ヒグマ同士でも自分のエサを守るため闘争します。

丘珠は厳冬期に冬眠中のクマを猟師が撃ち漏らし手負い化。
1週間近くの逃亡の果てに飢餓のあまり民家に侵入し人間を食害。

日高福岡大はザックをテントの外に放置。若グマが興味を示し、ザックを漁る。
そのザックを取り返したために、その後執拗に付け回され襲われる。
ヒグマは一度自分のものだと思ったものには固執します。

どれも特殊な理由があるように思われます。
手負いグマ2件、クマ憑き(クマが固執する状態)2件。

1875年虻田郡弁辺村民家侵入

1875年これは12月8日、クマが民家に侵入し1人を殺害し2人を負傷させたもの。
これ以上のクマに関する詳細がわかりません。
この後クマは撃ち殺されているので、年齢性別等は当時はわかったと思います。

12月8日というと、その年によりますが多くのヒグマは冬ごもりに入っている時期です。
穴持たずか、食いだめが足りない個体が突如民家に侵入してきたのでしょうか。

1976年千歳市風不死岳ヒグマ事件(山林作業・山菜採り)

1976年6/4に千歳市風不死岳で山林作業中に1名がヒグマに襲われ負傷。
6/5にも山菜採りをしていた男性がクマに襲われ負傷。
6/9午前10時ごろ、山菜採り(ネマガリダケ)のために11人で入山。
そのうち2人がヒグマに殺され、そのうち1名は食害されていました。
加害グマは2歳5ヶ月のメス♀の若グマ。

最初の6/4は仲間5人とチシマザサの伐採作業中での負傷だそうです。
6/5や6/9は積極的に人を襲っているので既に食害目的だと思います。

この加害グマの剥製は北海道開拓記念館に保存されているとのこと。

1999年木古内町ヒグマ事件(釣り・山菜採り)

1999年5月8日木古内町で釣りに出かけた男性がヒグマに襲われ死亡した事件。
林道のゲートで車を駐車し、そこから100m付近で遺体となって発見されました。
遺体はヒグマによって草がかけられ、食害されていました。

5月11日に女性2名が山菜採りに入林し、歩いていたところヒグマが攻撃。
もう1名が救助に入ると、今度はそちらを攻撃。
車のクラクションを鳴らして追い払ったが両者とも重傷でした。

その後、ヒグマは駆除に来ていたハンターに向かってきましたが、最後は射殺。
オス♂2歳3ヶ月の若グマで体長は約1.5m、体重は推定約60~70kg。

見通しの良い現場のため、最初の釣り男性とは不意の遭遇ではなかったと思わます。
若グマであることから好奇心からの戯れ、じゃれつきなども考えられます。
その結果被害者を殺害し、人間を食べ物とみなし食害した可能性が高いでしょう。

2人の女性は遺体を自分の食べ物を守るために排除攻撃を受けたか、あるいは人間を食べ物と認識した加害グマに積極的に食害目的で襲われた可能性があります。

1977年大成町ヒグマ事件(山菜採り・釣り)

1977年に大成町で山菜採りに出かけた男性が5/27に殺害され食害。
同一個体が9/24に川釣りに出かけていた男性を殺害し食害。

加害グマはメス♀の4歳8ヶ月で体長は1.67mでした。

最初は山菜採りでの不意の遭遇か排除攻撃で人を殺し、人間を食害。
人を食べ物とみなした同一個体が再び川釣りの男性を食害目的で襲った可能性があります。

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被害者が多い各事件についての詳細は以下の記事をご覧ください。

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