苫前三毛別ヒグマ事件
大正4(1915)年冬、開拓民を悲惨な嵐が襲った。
死者8名、負傷者2名。巨大熊による殺戮は、まさに羆の嵐。
この事件はわが国の獣害史上最悪の事件として語り継がれている。
目次
苫前三毛別ヒグマ事件流れ
11月初旬:ヒグマ池田家のとうもろこしを食害
1915(大正4)年、11月初旬。
苫前町三毛別六線沢で池田さんはとうもろこしをヒグマに2度食べられた。
そのため、マタギに頼んでヒグマを駆除してもらおうとした。
しかし、マタギはクマを打ち損じて逃してしまった。
足跡と血痕を追跡しても見つからず、その後クマは姿を見せなくなった。
12月9日午前8時頃:太田家に侵入(死者:2名)
11月に池田家でとうもころしを食害したクマが12月9日太田家に侵入。
当時太田家には内縁の妻と子供(預かっていた子供)の2名がいた。
ヒグマは子供と妻を殺害し、妻の遺体を山へと連れ去る。
寄宿者によってこの惨状が発見され、村へと伝えられた。
太田家の窓にはトウモロコシが干してあり、その窓からヒグマは侵入していた。
12月10日朝:遺体捜索でクマと遭遇
太田さんの妻の遺体を捜索するためマタギや男たちが捜索隊を結成。
ヒグマの足跡を追い森に入り、加害グマに遭遇。
ヒグマは捜索隊に襲いかかるが、撃ちもらして逃げられる。
ヒグマが逃げたため遺体の捜索を続行する。
12月10日午後:遺体捜索で遺体を発見
捜索隊は、太田さんの妻の食い尽くされた遺体をトドマツの根元で発見。
残っていたのは、膝から下の両足と頭蓋骨のみであった。
太田さんの妻の遺体は夕方太田家へ戻る。
12月10日夜:通夜にヒグマ乱入
太田さんの子供と妻の通夜の場にクマが出現。
壁が破られランプは消え大混乱に陥るが、男性が発砲しクマを撃退。
クマはまたも逃げる。
クマは自分の所有物だと思っている太田さんの妻の遺体を取り返しに来たのであった。
12月10日夜:ヒグマ明景家を襲撃(死者:5名)
太田家の通夜の場をを襲ってまもなく、クマは明景家に侵入。
ここには明景家の6人と斎藤家の3人と太田家の寄宿人1人の計10人がいた。
ここでクマは更に殺戮を繰り広げる。
明景さんの三男と斎藤さんの妻と三男と四男が殺される。
家の周囲にはクマの討伐隊がいた。
しかし、屋内に踏み込むことも発砲することもできず・・・
ただ周囲を右往左往しているだけだった。
クマが逃げる際に発砲するが、またもや撃ちもらしクマに逃げられる。
12月12日午後8時すぎ:ヒグマ再び太田家に侵入
クマが再び太田家に侵入。
雑穀類を食い荒らし、衣類などまでひきちぎり、狼藉を尽くして去る。
12月13日午後5時すぎ:ヒグマ農家8軒に侵入・鶏等食害
クマは付近の農家8軒に侵入。
雑穀類やニワトリを食い荒らし、屋内を破壊し去る。
12月14日午前10時:加害グマ捕殺
遂に加害クマを射止める。頭部が異常に巨大な大グマであった。
- 体長:2.5m
- 体重:340kg
- 性別:オス
- 推定年齢:7~8歳
- 毛色:黒毛、胸部に白毛有
- 加害理由:穴持たずグマを猟師が駆除に失敗し手負いにした為
ヒグマによる被害者
事件による当初の死者は7名、負傷者3名(負傷者のうち1名は死亡)
以下は後遺症で死亡した1名も含めた死者8名。
- 太田さんの妻
- 太田さんが預かっていた子供
- 明景さんの三男
- 明景さんの四男(2年8ヶ月後後遺症で死亡)
- 斎藤さんの妻(妊婦)
- 斎藤さんの三男
- 斎藤さんの四男
- 斎藤さんの妻の胎児
この事件はヒグマにより被害者が食害されていました。
ヒグマが人体のどこを食害するかについては以下の記事をどうぞ。
三毛別事件場所
北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢(現在:北海道苫前町古丹別三渓)
※事件場所は大まかな位置です。