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会津旅行記2013-その9

12)善龍寺

ここは「なよたけの碑」と西郷頼母とその自刃した一族のお墓があります。
車でちょっと迷走しましたけど、駐車場ありました。

このお寺には「なよたけの碑」があります。
碑の名前は西郷頼母の妻千重子の辞世の句から。
碑陰にはこの戦争に殉じた女性233名の名前が刻まれています。

年を取るにつれ、不思議なことに目線が変わってくる。
以前は白虎隊目線、容保公目線、梶原平馬目線でこの戦争を見ていた。

でも今は、千重子目線、中野竹子目線、山本八重目線、神保雪子目線・・・
と女性の目線から見るようになった。

大河ドラマを見ていて一番しんどいのは神保修理、雪子夫妻。
修理は秀才で見た目も良くて、雪子とは人々が羨むような仲の良かった夫婦。
修理は強引に鳥羽伏見の責任を取らされて切腹、雪子は娘子軍に参加し、敵軍に捕えられ自刃。
2人の結末を知っている私としては、もう見てられない。ほんと無理。この二人は無理。

この戦役で亡くなった女性たちを讃える碑の前に直立し、しばし思索に耽る。
敵軍が来る前に足でまといになるまいと、命を絶った女性たち。
女ながらも敵軍と戦おうと髪を切って男装をして戦った女性たち。
城に入城し、飯炊きや看病を頑張った女性たち。

もし、私がそこにいたらどの道を選ぶだろう・・・なんて考えてしまう。

今となってはただ彼女たちの魂が永遠の緑野で安らかであることを祈るだけである。

15年前、ここで年配の方たちがお花見をしていた。桜は満開だった。
北海道から来たと言ったら、自分たちのカメラで私たちを撮影してくれた。
そして、住所をわざわざ聞いてきて、北海道の自宅まで郵送してくれたデス。
会津の人って人情に篤いんですよね。

でも、残念。今年は桜はまだ咲き始めでした。

会津旅行記2013-その8

11)石部桜

石部桜は実はお初お目にかかります!
今やってる大河ドラマのオープニングにも使われた地元でも有名なエドヒガンです。

あほのように撮りまくった私は、デジ一タンからの突然の悲鳴に驚く。
彼女ったら「カードの容量がいっぱいです」的なことぬかし始めました!

というわけで、残念ながらこういうことになります↓

aidu_ill_06

だって、ほら、やっぱり、
性能面で、デジ一(なお)>コンデジ(ゆう)
価格面で、デジ一(なお)>コンデジ(ゆう)
権力面で、なお>>>超えられない壁>>>ゆう
ニャもの・・・悪いけど、優先させてもらうニャぁん(*´∀`*)

車に戻ったらカードありました!
あとノートPCにデータ落としてSDカード空にしたデス。

ソメイヨシノも格別ニャけど、やっぱりエドヒガンの風格はたまらないデス。
長い歴史を風雪に耐えてきた、この凛とした美しい御姿!!
ソメイヨシノほどの美麗さはないけど、ソメイヨシノにはない風格がある!

コミックカテゴリー追加

以前やってたブログのコミックをここに移転しようと思いますニャ。

1)猫4コマ(がんま)・・・まりんが主役
2)その他漫画(がんま)・・・夫婦の話
3)節約・・・節約ブログやってた時のマンガ

(がんま)というのは、なんかヘンテコな饅頭みたいなキャラクターのマンガです。
節約ブログは3等身くらいのキャラクターで描いてます。

ちょっと古くて恥ずかしいのですが、せっかくなので一元化しようと思いまして・・・
特に初期の猫マンガはクオリティーが低いですニャ。全然オチがついてない。
4コマを初めて描いた頃なので(;´д`)

2009年あたりに描いてるので、2009年で更新していきます。
グローバルナビの一番右に[comic]というカテゴリー追加しました。
チョコチョコ増えていくと思います(*´ω`*)
お暇な際にでもよかったらご覧くださいませ!

BR持ってみた

あるフレさんが言うことには・・・
「佐官部屋ではBRが主流」

これはもう何か月も前から聞いていた。
いつか持ちますニャ!とか言ってみたものの、私は持つ気ナス。
だって、あんなモンで足止めできる気がしないからニャね。

でも最近なんかムラっと来た。
というわけで、持ってみた。高収束リングLv2とかつけてみた。

一戦したニャ。
フルチャが当たらず怯み取れなくて悶絶した。危うく発狂する寸前であったニャ。

話は変わるデスにゃけど、ゆうのカスパはいつも謎カスパである。
私が気になっているのは「出撃準備短縮プログラム」
何度言っても陸ジムから取ろうとしない。

拠点リスポンしない性質だから、敵だらけの中継地点に誰よりも早くリスポンして凹られ即落ち。
それを何度か繰り返したのにも関わらず、なぜかお気に入りで取る気ナス。

私はフレさんにチクってみた。
フレさんは結構ダメ出ししてくるタイプのお人なので、説得できるかなと思って。
フレさんと私に詰め寄られ、ゆうは出撃準備短縮プログラムを取った。

で、二戦目出撃なのじゃ!
もちろん、私はBRからロケランに持ち替えてるニャ。
・・・BR?なにそれ?
わらわは大佐までロケランに命を預けるニャよ!! ←挫折早っ・・・(;´д`)

するとフレさん曰く
「リングつけたままやで」

ニャっ!?
ニャニゴトッ?!

「ローダーに変えないと」

ニャニャニャニャッ・・・・!!!

あわてて変えた。残り数秒で滑り込みセーフ!!!

そしてお腹抱えて笑っちゃた。
あれだけゆうのカスパにダメ出ししてたのに・・・
自分はリングつけたまま、ロケラン担いで出かけようとしてたとは・・・!

フレさんは「まさかなw」と思いつつも私のカスパをチェックしてくれたよう。

ほんと、すまんかった。
アホですまんかった。

時々人のカスパ見て、「佐官の無課金さんはコスト部屋行ってニャ」なんて思う時もあるけど・・・
私は無課金以前の問題ニャね。
しかし、これでこそブラックホールの本領発揮!!むしろ本望!

開き直ってみた(*´∀`*)
我が生涯に、一片の悔い無し!!!

会津旅行記2013-その7

10)飯盛山
長いし、感情的なので読んでくださる方はご注意くださいまし。

ここは白虎隊士中二番隊が自刃した場所としてあまりにも有名である。
戦いに敗れ、ひどい空腹の中くたびれ果ててここに辿りついた少年たち。
その少年たちが見たものは、炎に包まれたお城だった。
お城が落ち、会津が負けたと思った少年たちは死を選んだ・・・・
実際まだ城は落ちておらず、城の周りの家々が燃えていたものを彼らは誤認した。

私が会津にハマったのは小学生の時に見た年末時代劇スペシャル「白虎隊」から。
私は会津が被った悲劇と白虎隊士たち、娘子軍や潔く死を選ぶ人達の姿に感動した。
つまり、私が会津にハマったのは悲劇があってこそ。

私は典型的な判官びいきな性質。
だから何でも敗者の方に肩入れしてしまう。
戊辰戦争の会津藩、榎本軍。
関ヶ原では石田三成。武田氏滅亡時の武田勝頼。大阪夏の陣では真田幸村、豊臣秀頼。

こんな私のココロが会津に落ちるのは必然だった。
悲劇あっての会津で、私はその悲劇を愛する性質だから。

でも30超えた今はそう思わない。
こんな悲劇なんてあっていいはずかない。

こんな16、17歳の少年たちが死を選んでいいはずがない。
昔はあんなに美しいと感じた彼らの武士道が今は全面肯定できない。
だって、何としても生き延びて欲しかった。最後まで希望を捨てずに城に戻って欲しかった。
その後無事に城に帰還できた他の白虎隊士のように。

話はそれるが、私は会津に来て原爆を思い出していた。
どちらも天災ではなく、人間が起こした戦争、人災である。
私が敬愛する林京子氏の芥川賞作品「祭りの場」
何度も何度も読んだ。覚えてしまった段落すら多々ある。
しかし、私は氏が何故タイトルに「祭りの場」を持ってきたのか何度読んでも正直理解できなかった。

――――――――祭りの場では、学徒出陣の物悲しい奇妙な踊りが繰り広げられていた。
そして、8月9日。あの瞬間に最後の踊りの輪は・・・「送る者送られる者、みんな死んだ」

最近解説を読んでやっと理解できた。
「どこそこにあった清らかな青春の祭りの場を織り込みたかった」
あのタイトルはささやかな青春を原爆によって摘み取られた青少年達へのたむけなのである。
だから、筆者の青春の象徴として稲富とのエピソードも盛り込んだのだろう。

更に氏の作品「長い時間をかけた人間の経験」で彼女はこう表現している。
「十四、五歳で逝った友人たちは、青年の美しさも、強く優しい腕に抱かれることもなく、去って行ったのである。恋する楽しさ、胸の苦しさを味あわせてやりたかった。」

私は飯盛山に来てそれを思い出していた。
16、17歳の少年たちは女性を知ることがないまま死んでいったのだろう。
林京子氏が語る原爆で亡くなった同級生の少女たちのように。
もしかしたら[恋心]すら知らなかったかもしれない。

私はそんなに恋愛脳ではない方だと思う。
それでも、思う。
人としての幸せは誰かを好きになったり、その人に好きになってもらったり。
愛し愛されて一緒に長い時を過ごしたり、愛する人との子供を授かったり。
色々な形がある幸せだけれど、男女の恋や愛によってもたらされる幸せはその根幹だと思う。

戦争に巻き込まれあまりにも若い命を散らした彼らはそんなことを知ることもなく死んでいったのだ。
そう思うとなんだか無性に切ない、というか口惜しい。

彼らを愚かだとは思わない。そういう教育を受け、それに従ったまで。
彼らの潔い武士道はやっぱり美しくて・・・百年以上経った今も色褪せることが無い。

だから、私は最終的にこう思わざるをえない。
戦争責任者が悪い。つまりは容保公が悪い。

昔は容保公がかわいそう!天皇の信頼篤く、ひたすら真面目に頑張っただけなのに・・・
なんて思ってた。でもやっぱり今は違う。

確かに会津戦争に至るまでの流れを見ると、あまりにも負のループにハマりすぎてる。
会津藩には同情を禁じ得ない。―――――――でも、100%回避できない戦いではなかった。
だから、
やっぱり、
容保公は、
何としても、戦争を回避すべきだった。

そう思いながら士中二番隊白虎隊士19名のお墓に手を合わせる。
そして、その横に並ぶ墓碑、寄合白虎隊の戦死者に線香を捧げる。
寄合白虎隊は自刃白虎隊士に比べ印象が薄いが、城外戦で奮闘し骸を野に晒した少年達である。
自刃隊士は戦闘の翌日に死亡しているが、寄合白虎隊は2ヶ月以上激しい城外戦を繰り広げていた。

会津でも最もにぎわう観光地、飯盛山。
毎日たくさんの人々がここをを訪れる。
たくさんの人々が手を合わせて亡くなった少年たちの冥福を祈る。
だから、いつもここは清涼な空気に包まれているような気がする。