marine*sky+blue

会津旅行記2013-その8

11)石部桜

石部桜は実はお初お目にかかります!
今やってる大河ドラマのオープニングにも使われた地元でも有名なエドヒガンです。

あほのように撮りまくった私は、デジ一タンからの突然の悲鳴に驚く。
彼女ったら「カードの容量がいっぱいです」的なことぬかし始めました!

というわけで、残念ながらこういうことになります↓

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だって、ほら、やっぱり、
性能面で、デジ一(なお)>コンデジ(ゆう)
価格面で、デジ一(なお)>コンデジ(ゆう)
権力面で、なお>>>超えられない壁>>>ゆう
ニャもの・・・悪いけど、優先させてもらうニャぁん(*´∀`*)

車に戻ったらカードありました!
あとノートPCにデータ落としてSDカード空にしたデス。

ソメイヨシノも格別ニャけど、やっぱりエドヒガンの風格はたまらないデス。
長い歴史を風雪に耐えてきた、この凛とした美しい御姿!!
ソメイヨシノほどの美麗さはないけど、ソメイヨシノにはない風格がある!

会津旅行記2013-その7

10)飯盛山
長いし、感情的なので読んでくださる方はご注意くださいまし。

ここは白虎隊士中二番隊が自刃した場所としてあまりにも有名である。
戦いに敗れ、ひどい空腹の中くたびれ果ててここに辿りついた少年たち。
その少年たちが見たものは、炎に包まれたお城だった。
お城が落ち、会津が負けたと思った少年たちは死を選んだ・・・・
実際まだ城は落ちておらず、城の周りの家々が燃えていたものを彼らは誤認した。

私が会津にハマったのは小学生の時に見た年末時代劇スペシャル「白虎隊」から。
私は会津が被った悲劇と白虎隊士たち、娘子軍や潔く死を選ぶ人達の姿に感動した。
つまり、私が会津にハマったのは悲劇があってこそ。

私は典型的な判官びいきな性質。
だから何でも敗者の方に肩入れしてしまう。
戊辰戦争の会津藩、榎本軍。
関ヶ原では石田三成。武田氏滅亡時の武田勝頼。大阪夏の陣では真田幸村、豊臣秀頼。

こんな私のココロが会津に落ちるのは必然だった。
悲劇あっての会津で、私はその悲劇を愛する性質だから。

でも30超えた今はそう思わない。
こんな悲劇なんてあっていいはずかない。

こんな16、17歳の少年たちが死を選んでいいはずがない。
昔はあんなに美しいと感じた彼らの武士道が今は全面肯定できない。
だって、何としても生き延びて欲しかった。最後まで希望を捨てずに城に戻って欲しかった。
その後無事に城に帰還できた他の白虎隊士のように。

話はそれるが、私は会津に来て原爆を思い出していた。
どちらも天災ではなく、人間が起こした戦争、人災である。
私が敬愛する林京子氏の芥川賞作品「祭りの場」
何度も何度も読んだ。覚えてしまった段落すら多々ある。
しかし、私は氏が何故タイトルに「祭りの場」を持ってきたのか何度読んでも正直理解できなかった。

――――――――祭りの場では、学徒出陣の物悲しい奇妙な踊りが繰り広げられていた。
そして、8月9日。あの瞬間に最後の踊りの輪は・・・「送る者送られる者、みんな死んだ」

最近解説を読んでやっと理解できた。
「どこそこにあった清らかな青春の祭りの場を織り込みたかった」
あのタイトルはささやかな青春を原爆によって摘み取られた青少年達へのたむけなのである。
だから、筆者の青春の象徴として稲富とのエピソードも盛り込んだのだろう。

更に氏の作品「長い時間をかけた人間の経験」で彼女はこう表現している。
「十四、五歳で逝った友人たちは、青年の美しさも、強く優しい腕に抱かれることもなく、去って行ったのである。恋する楽しさ、胸の苦しさを味あわせてやりたかった。」

私は飯盛山に来てそれを思い出していた。
16、17歳の少年たちは女性を知ることがないまま死んでいったのだろう。
林京子氏が語る原爆で亡くなった同級生の少女たちのように。
もしかしたら[恋心]すら知らなかったかもしれない。

私はそんなに恋愛脳ではない方だと思う。
それでも、思う。
人としての幸せは誰かを好きになったり、その人に好きになってもらったり。
愛し愛されて一緒に長い時を過ごしたり、愛する人との子供を授かったり。
色々な形がある幸せだけれど、男女の恋や愛によってもたらされる幸せはその根幹だと思う。

戦争に巻き込まれあまりにも若い命を散らした彼らはそんなことを知ることもなく死んでいったのだ。
そう思うとなんだか無性に切ない、というか口惜しい。

彼らを愚かだとは思わない。そういう教育を受け、それに従ったまで。
彼らの潔い武士道はやっぱり美しくて・・・百年以上経った今も色褪せることが無い。

だから、私は最終的にこう思わざるをえない。
戦争責任者が悪い。つまりは容保公が悪い。

昔は容保公がかわいそう!天皇の信頼篤く、ひたすら真面目に頑張っただけなのに・・・
なんて思ってた。でもやっぱり今は違う。

確かに会津戦争に至るまでの流れを見ると、あまりにも負のループにハマりすぎてる。
会津藩には同情を禁じ得ない。―――――――でも、100%回避できない戦いではなかった。
だから、
やっぱり、
容保公は、
何としても、戦争を回避すべきだった。

そう思いながら士中二番隊白虎隊士19名のお墓に手を合わせる。
そして、その横に並ぶ墓碑、寄合白虎隊の戦死者に線香を捧げる。
寄合白虎隊は自刃白虎隊士に比べ印象が薄いが、城外戦で奮闘し骸を野に晒した少年達である。
自刃隊士は戦闘の翌日に死亡しているが、寄合白虎隊は2ヶ月以上激しい城外戦を繰り広げていた。

会津でも最もにぎわう観光地、飯盛山。
毎日たくさんの人々がここをを訪れる。
たくさんの人々が手を合わせて亡くなった少年たちの冥福を祈る。
だから、いつもここは清涼な空気に包まれているような気がする。

会津旅行記2013-その6

翌日は7時くらいに起床して、朝ごはんは部屋食。
やっぱりここで、後悔する。
バイキングにすればよかった・・・
朝から一般人用に一定量用意されたメシなんぞ、超低血圧の私には完食できニャい・・・

メイクをテキトーに済ませて、旅館を出発。
東山温泉すぐの武家屋敷へGO!

■おまけ
15年前の2泊目の日の気温は26度まで上がった。
チャリで回ってた私たちは喉が渇いたので、このセブンイレブンに寄った。ナツカシス。

9)武家屋敷

武家屋敷は家老西郷頼母の家を復元したもの。
まず私はそのチートなスペックにショックを受けずにはいられない。

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・敷地面積2,400坪!
・建築面積270坪!
・部屋数38室!

ぐはっ・・・!
うさぎ小屋的戸建てに住んでいるなおちは痛恨の一撃を食らった・・・!
ガンオペに例えると、ザクタンクの一撃だけでHP半分以上持ってかれた感じ。

この辺からちょっと感情的になるので、お読みくださる方は要注意!

最初はそんな感じでチートな家について論じていたわけだけど・・・
自刃の間にたどり着いたら絶句。
今まで何度も西郷一族の自刃のシーンをドラマの映像や本で見て涙した。
でも、復元とはいえ実際にこの小さな空間を目にしたら、ただ絶句するしかない。

頼母の妻、千重子(34)さんの辞世の句
[なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそ聞け]
私は辞世の句が好きで、いろんな人の辞世を調べたが、文句なしにこれが最強。
同じ女として、共感せずにはいられない。

私的な訳は
なよ竹のように風に吹かれてその身を揺らすような、かよわい女の身ではあるけれど
竹に決して折れない節があるように、私にも曲げられない強い意志があると知るがいい

頼母と長男を見送った後、敵軍が郭内に突入する前に西郷一族郎党21名は死を選びます。
城内に入りいたずらに兵糧を減らすことを恐れ、足手まといになることを潔しとしなかった。
妻千重子は幼い9歳、4歳、2歳の娘を刺し殺して、自分も後を追った。

昔はね、頼母のこと尊敬してた。
一番初めに見た「白虎隊」の頼母は里見浩太郎さんが演じた頼母。
あれでいい頼母がインプリンティングされてたし。

でも今は違う。
城に行った頼母は結局城から脱出し、榎本軍に合流し函館まで行った。
でもそこで実戦に参加すらせず女と暮らしてたと言う話がある。
だから今は違う。全然違う。むしろ軽蔑。
だって、長女ですらまだ16歳だよ・・・一番小さいのは2歳・・・
その死を見届けなくてはならなかった母親の千重子さんの気持ちを考えたら・・・

でも西郷家だけじゃない。
会津のいたるところでこんな光景が見られた。
家老内藤介右衛門の家も然り、柴五郎の家も然り。
足手まといになることを恐れた老人や女子供は自ら死を選んだ。

会津旅行記2013-その5

6)鶴ヶ城

鶴ヶ城タン!久しぶりだね!
15年前の後にも一回来てるから、8年ぶり!
相変わらずのお美しい姿ですニャね(*´∀`*)

旅館からはタクシーで来た。
自家用車使いたかったけど、旅館のウェルカムドリンクがアルコールだった・・・
何で飲んだんだ、ゆうよ・・・
止めなかった私も悪い・・・
相変わらず何も考えてない二人組ニャ・・・

鶴ヶ城ではとにかく寒かったデス!!!
雨がチラホラ降ってるし!!!
でもいい感じでした。満開といっても過言ではないニャ。

この場所に佇んで、思い出すことは・・・

1回目はすごく人が多くて、お祭りみたいだった。
見知らぬ人が写真を撮ってくれた。
初めての桜の群れに心底感動した。
思い出すのは、桜がただ美しかったことばかり。
あと金が無かったことばかり・・・え?しつこい?

2回目は三春滝桜が7分だった。鶴ヶ城はまだつぼみ!!
でも天守閣に入って楽しんだ。天守閣の順路を進んでいくと、1Fにお土産屋が・・・
「ふむぅ・・・こうやって強制的にお土産屋に連行されるのか。」
なーんも買わないもん。なんて思ってたら美しい桜の表紙の本が・・・
思わず手に取った。福島だとわかった。速攻買った。
そして、すごい勢いで車飛ばしてその桜見に行った。
見事に会津若松市観光公社に翻弄されておる観光客の見本ですニャ⊂(^ω^)⊃ 
[合戦場の桜]という三春滝桜の孫桜でしたニャ。

その後、とりあえず旅館へ戻る。
ご飯を食べた後、夜桜撮影に来るのー!

7)旅館で夕飯
18時に部屋食。
質素で上品な食事で美味しかったけど・・・
やっぱりバイキングにすべきだったと後悔!
だって、小食の私は絶対食べきれず、無理に食べようとして腹壊したりする・・・
バイキングなら自分の適量だけ取ってこればいいから助かるニャ。

お腹いっぱいになり過ぎて、軽く横になる。
疲労困憊過ぎて・・・夜桜撮影に行けなかったニャ・・・
さっきの寒さを考えると、もっと寒くなってるわけだし、怖気づいたニャ・・・
屈辱過ぎる・・・三脚も買い替えて臨んだというのに・・・

8)貸切露天風呂
別料金だったけど、2人で入りたかったので貸切露天風呂を予約。
姉妹館まで行かなきゃならないけど、車で送迎してくれるので行ってみた。

浴槽は2つ。右側が熱めで深い。左側が適温で浅い。
脱衣所も広くておしゃれで洗面台もきれい。アメニティーも充実!
すっごい楽しかったデス。ただ50分なのよね。もっと長く居たい。

お風呂から帰ってきたら、ちょっとだけお酒飲んで寝ました(*´∀`*)

会津旅行記2013-その4

4)阿弥陀寺
次は七日町の阿弥陀寺へ。
ものすごい雨が降ってきちゃいました。

天気図を見るとこんな感じ。↓
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ピンポイントで狙われ過ぎる・・・

近くの駐車場に止めて10分ほど待ったら雨が止んだです。

何故だろう・・・
今回はなんか総体的に斜めに撮れとる・・・
パンプスのヒール片方だけ削れてる?
なんてね、新しいの履いてったのに(;´д`)

ここは、御三階という鶴ヶ城本丸にあった建築物が置いてあります。
当時の鶴ヶ城の唯一の遺構だそう。
あと新選組隊士だった斎藤一のお墓があります。

私は土方さんが大好きです。
北へ向かい、戦って、そこで討死した土方さん。
会津に残り、死んだと思われるような激しい戦いの後に生き残った斎藤さん。
2人が選んだ道は違うけれど、どちらも「らしい」生き様だったと思います。

5)旅館
その後旅館へ到着!15時くらいだったかな。

10畳のお部屋がメインだったけど、3畳くらいの小さな部屋もくっついてた。
窓の下は川でした!なかなかの眺め。川大好き(*´∀`*)