インドネシアの妹たち2020
日記で何度か書いたインドネシアにいる妹2人。
フェイスブックで知り合って、わたしのことをNeesan「姉さん」と呼んでくれる。
2011年には19歳だった彼女たちも、もう27歳と28歳。
Riaちゃんはほとんどフェイスブックに繋がなくなったようでメッセージのやり取りは2018年以降中断。
Nitaちゃんはフェイスブックには繋がなくなったけどメールでやり取りしたいということで、メールを交換してた。
そのNitaちゃんが亡くなったそう。
今年の6月1日に。
Riaちゃんが私のフェイスブックに連絡をくれていたんだけど、私もフェイスブックをほとんど見ていなくて今気づいた。
病気で亡くなったとのことだけど、今年の1月に27歳になったばかりだった。
私が最後にメールをやり取りしたのは2019年3月。
もらったメールに返信していない状態だった。
お互い誕生日メッセージは送り合っているのだけど2020年の1月にメッセージを送れば良かった。
送るのを忘れたので2021年のバースデイメッセージを送ろうかなと思っていた。
遅すぎだっつの。
彼女のフェイスブックの自己紹介にはこう書いてある。
「Just a simple woman with big big dream. 」
そのbig big dreamとは日本にきて看護士や介護福祉士として働くこと。
日本の漫画やアニメが好きで、日本に来たいとずっと言っていた。
2019年のメールではケアワーカーとして日本に行く日本政府とのプログラムに応募すると言っていた。
しかしその後、書類を揃え申し込む寸前で母親の同意が得られず今年はあきらめる、でも来年、また頑張ると言っていた。
それが今年。コロナでそれどころじゃなかっただろう。
本当に日本に来たがっていた。
本当に来たがっていたのに、彼女のbig dreamはかなわないまま終わってしまった。
看護学校に行って、就職がなく地元に戻って、また看護学校があった都市に戻ってきて、看護士として立派に働いていた。
いつか日本に行くと言う夢を心に携えて。
彼女とは本当にたくさんのメッセージをやり取りした。
学生時代はかなり頻繁にメッセージが来るので、必死に返信していた。
たぶん1,000回以上はメッセージのやり取りしたと思う。
ポジティブで、はっきりと物を言う、でも人懐っこいかわいい子だったな。
日本に来たら会いたかったな。何か力になりたかったな。
でも何も力になることもできなかったな。
彼女のメールに返信しないまま、終わってしまった・・・
確かに英語のメールはハードルが高い。
しかし彼女たちとメッセージ交換を始めた2011年より圧倒的に英語力が伸びているのだから、手を抜いたとしか言いようがない。
私が英語を勉強し始めたのは2015年くらい。
正直学生時代以来の勉強でかなりしんどかったけど、彼女たちと英語でメッセージを千回以上やり取りした経験があったから勉強を続けられたのだろう。
何の病気だったのだろう。
Riaちゃんからのメッセージでは「illness」と書かれていた。
1月の誕生日には動画が上がっていたが、元気そうに見えた。
おそらくだけどフェイスブック上でのお友達のインドネシア語の会話を翻訳したら、「脳炎」「髄膜炎」という単語が出ていたので、そのような病気だったのかもしれない。
4月には友人たちから早く良くなってねと書き込みがあったので、その時には既に闘病していたのだろう。
髄膜炎は日本ではほとんどない病気で、海外に行く前にワクチン接種が進められている。
髄膜炎は感染症でもあるので、病院で働いて感染したのかもしれない。
もし2019年のプログラムで日本に来れていたら??
どうなっていただろう。
日本に来る前に6ヶ月はインドネシアで日本語の勉強をし、その後6ヶ月間は日本で勉強すると言っていた。
病院勤務から離れていれば、あるいは日本に来ていれば違ったのではないだろうか・・・
Nitaちゃんは日本の桜への憧れがすごかったな。
春には時々近所や桜の名所の桜の写真を送っていた。
いつか日本に行って働いて、桜を見たいと言っていた。
それが彼女からの最後のメッセージになってしまった。
「i imagine Japan just full of Sakura blooming anywhere. Hope someday I can visit Japan. If i can’t work and stay there, then just take a holiday enough.」
「日本のいたるところで満開の桜が咲き誇っているのを想像するの。
いつか日本に行って桜を見たいな。
日本で働いて住むことができて、更に十分なお休みが取れたらね。」
今は彼女の魂が永遠の緑野で平穏であることを祈ることしかできない。
R.I.P. My pretty sister Nita chan.