marine*sky+blue

コミックカテゴリー追加

以前やってたブログのコミックをここに移転しようと思いますニャ。

1)猫4コマ(がんま)・・・まりんが主役
2)その他漫画(がんま)・・・夫婦の話
3)節約・・・節約ブログやってた時のマンガ

(がんま)というのは、なんかヘンテコな饅頭みたいなキャラクターのマンガです。
節約ブログは3等身くらいのキャラクターで描いてます。

ちょっと古くて恥ずかしいのですが、せっかくなので一元化しようと思いまして・・・
特に初期の猫マンガはクオリティーが低いですニャ。全然オチがついてない。
4コマを初めて描いた頃なので(;´д`)

2009年あたりに描いてるので、2009年で更新していきます。
グローバルナビの一番右に[comic]というカテゴリー追加しました。
チョコチョコ増えていくと思います(*´ω`*)
お暇な際にでもよかったらご覧くださいませ!

BR持ってみた

あるフレさんが言うことには・・・
「佐官部屋ではBRが主流」

これはもう何か月も前から聞いていた。
いつか持ちますニャ!とか言ってみたものの、私は持つ気ナス。
だって、あんなモンで足止めできる気がしないからニャね。

でも最近なんかムラっと来た。
というわけで、持ってみた。高収束リングLv2とかつけてみた。

一戦したニャ。
フルチャが当たらず怯み取れなくて悶絶した。危うく発狂する寸前であったニャ。

話は変わるデスにゃけど、ゆうのカスパはいつも謎カスパである。
私が気になっているのは「出撃準備短縮プログラム」
何度言っても陸ジムから取ろうとしない。

拠点リスポンしない性質だから、敵だらけの中継地点に誰よりも早くリスポンして凹られ即落ち。
それを何度か繰り返したのにも関わらず、なぜかお気に入りで取る気ナス。

私はフレさんにチクってみた。
フレさんは結構ダメ出ししてくるタイプのお人なので、説得できるかなと思って。
フレさんと私に詰め寄られ、ゆうは出撃準備短縮プログラムを取った。

で、二戦目出撃なのじゃ!
もちろん、私はBRからロケランに持ち替えてるニャ。
・・・BR?なにそれ?
わらわは大佐までロケランに命を預けるニャよ!! ←挫折早っ・・・(;´д`)

するとフレさん曰く
「リングつけたままやで」

ニャっ!?
ニャニゴトッ?!

「ローダーに変えないと」

ニャニャニャニャッ・・・・!!!

あわてて変えた。残り数秒で滑り込みセーフ!!!

そしてお腹抱えて笑っちゃた。
あれだけゆうのカスパにダメ出ししてたのに・・・
自分はリングつけたまま、ロケラン担いで出かけようとしてたとは・・・!

フレさんは「まさかなw」と思いつつも私のカスパをチェックしてくれたよう。

ほんと、すまんかった。
アホですまんかった。

時々人のカスパ見て、「佐官の無課金さんはコスト部屋行ってニャ」なんて思う時もあるけど・・・
私は無課金以前の問題ニャね。
しかし、これでこそブラックホールの本領発揮!!むしろ本望!

開き直ってみた(*´∀`*)
我が生涯に、一片の悔い無し!!!

会津旅行記2013-その7

10)飯盛山
長いし、感情的なので読んでくださる方はご注意くださいまし。

ここは白虎隊士中二番隊が自刃した場所としてあまりにも有名である。
戦いに敗れ、ひどい空腹の中くたびれ果ててここに辿りついた少年たち。
その少年たちが見たものは、炎に包まれたお城だった。
お城が落ち、会津が負けたと思った少年たちは死を選んだ・・・・
実際まだ城は落ちておらず、城の周りの家々が燃えていたものを彼らは誤認した。

私が会津にハマったのは小学生の時に見た年末時代劇スペシャル「白虎隊」から。
私は会津が被った悲劇と白虎隊士たち、娘子軍や潔く死を選ぶ人達の姿に感動した。
つまり、私が会津にハマったのは悲劇があってこそ。

私は典型的な判官びいきな性質。
だから何でも敗者の方に肩入れしてしまう。
戊辰戦争の会津藩、榎本軍。
関ヶ原では石田三成。武田氏滅亡時の武田勝頼。大阪夏の陣では真田幸村、豊臣秀頼。

こんな私のココロが会津に落ちるのは必然だった。
悲劇あっての会津で、私はその悲劇を愛する性質だから。

でも30超えた今はそう思わない。
こんな悲劇なんてあっていいはずかない。

こんな16、17歳の少年たちが死を選んでいいはずがない。
昔はあんなに美しいと感じた彼らの武士道が今は全面肯定できない。
だって、何としても生き延びて欲しかった。最後まで希望を捨てずに城に戻って欲しかった。
その後無事に城に帰還できた他の白虎隊士のように。

話はそれるが、私は会津に来て原爆を思い出していた。
どちらも天災ではなく、人間が起こした戦争、人災である。
私が敬愛する林京子氏の芥川賞作品「祭りの場」
何度も何度も読んだ。覚えてしまった段落すら多々ある。
しかし、私は氏が何故タイトルに「祭りの場」を持ってきたのか何度読んでも正直理解できなかった。

――――――――祭りの場では、学徒出陣の物悲しい奇妙な踊りが繰り広げられていた。
そして、8月9日。あの瞬間に最後の踊りの輪は・・・「送る者送られる者、みんな死んだ」

最近解説を読んでやっと理解できた。
「どこそこにあった清らかな青春の祭りの場を織り込みたかった」
あのタイトルはささやかな青春を原爆によって摘み取られた青少年達へのたむけなのである。
だから、筆者の青春の象徴として稲富とのエピソードも盛り込んだのだろう。

更に氏の作品「長い時間をかけた人間の経験」で彼女はこう表現している。
「十四、五歳で逝った友人たちは、青年の美しさも、強く優しい腕に抱かれることもなく、去って行ったのである。恋する楽しさ、胸の苦しさを味あわせてやりたかった。」

私は飯盛山に来てそれを思い出していた。
16、17歳の少年たちは女性を知ることがないまま死んでいったのだろう。
林京子氏が語る原爆で亡くなった同級生の少女たちのように。
もしかしたら[恋心]すら知らなかったかもしれない。

私はそんなに恋愛脳ではない方だと思う。
それでも、思う。
人としての幸せは誰かを好きになったり、その人に好きになってもらったり。
愛し愛されて一緒に長い時を過ごしたり、愛する人との子供を授かったり。
色々な形がある幸せだけれど、男女の恋や愛によってもたらされる幸せはその根幹だと思う。

戦争に巻き込まれあまりにも若い命を散らした彼らはそんなことを知ることもなく死んでいったのだ。
そう思うとなんだか無性に切ない、というか口惜しい。

彼らを愚かだとは思わない。そういう教育を受け、それに従ったまで。
彼らの潔い武士道はやっぱり美しくて・・・百年以上経った今も色褪せることが無い。

だから、私は最終的にこう思わざるをえない。
戦争責任者が悪い。つまりは容保公が悪い。

昔は容保公がかわいそう!天皇の信頼篤く、ひたすら真面目に頑張っただけなのに・・・
なんて思ってた。でもやっぱり今は違う。

確かに会津戦争に至るまでの流れを見ると、あまりにも負のループにハマりすぎてる。
会津藩には同情を禁じ得ない。―――――――でも、100%回避できない戦いではなかった。
だから、
やっぱり、
容保公は、
何としても、戦争を回避すべきだった。

そう思いながら士中二番隊白虎隊士19名のお墓に手を合わせる。
そして、その横に並ぶ墓碑、寄合白虎隊の戦死者に線香を捧げる。
寄合白虎隊は自刃白虎隊士に比べ印象が薄いが、城外戦で奮闘し骸を野に晒した少年達である。
自刃隊士は戦闘の翌日に死亡しているが、寄合白虎隊は2ヶ月以上激しい城外戦を繰り広げていた。

会津でも最もにぎわう観光地、飯盛山。
毎日たくさんの人々がここをを訪れる。
たくさんの人々が手を合わせて亡くなった少年たちの冥福を祈る。
だから、いつもここは清涼な空気に包まれているような気がする。

会津旅行記2013-その6

翌日は7時くらいに起床して、朝ごはんは部屋食。
やっぱりここで、後悔する。
バイキングにすればよかった・・・
朝から一般人用に一定量用意されたメシなんぞ、超低血圧の私には完食できニャい・・・

メイクをテキトーに済ませて、旅館を出発。
東山温泉すぐの武家屋敷へGO!

■おまけ
15年前の2泊目の日の気温は26度まで上がった。
チャリで回ってた私たちは喉が渇いたので、このセブンイレブンに寄った。ナツカシス。

9)武家屋敷

武家屋敷は家老西郷頼母の家を復元したもの。
まず私はそのチートなスペックにショックを受けずにはいられない。

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・敷地面積2,400坪!
・建築面積270坪!
・部屋数38室!

ぐはっ・・・!
うさぎ小屋的戸建てに住んでいるなおちは痛恨の一撃を食らった・・・!
ガンオペに例えると、ザクタンクの一撃だけでHP半分以上持ってかれた感じ。

この辺からちょっと感情的になるので、お読みくださる方は要注意!

最初はそんな感じでチートな家について論じていたわけだけど・・・
自刃の間にたどり着いたら絶句。
今まで何度も西郷一族の自刃のシーンをドラマの映像や本で見て涙した。
でも、復元とはいえ実際にこの小さな空間を目にしたら、ただ絶句するしかない。

頼母の妻、千重子(34)さんの辞世の句
[なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそ聞け]
私は辞世の句が好きで、いろんな人の辞世を調べたが、文句なしにこれが最強。
同じ女として、共感せずにはいられない。

私的な訳は
なよ竹のように風に吹かれてその身を揺らすような、かよわい女の身ではあるけれど
竹に決して折れない節があるように、私にも曲げられない強い意志があると知るがいい

頼母と長男を見送った後、敵軍が郭内に突入する前に西郷一族郎党21名は死を選びます。
城内に入りいたずらに兵糧を減らすことを恐れ、足手まといになることを潔しとしなかった。
妻千重子は幼い9歳、4歳、2歳の娘を刺し殺して、自分も後を追った。

昔はね、頼母のこと尊敬してた。
一番初めに見た「白虎隊」の頼母は里見浩太郎さんが演じた頼母。
あれでいい頼母がインプリンティングされてたし。

でも今は違う。
城に行った頼母は結局城から脱出し、榎本軍に合流し函館まで行った。
でもそこで実戦に参加すらせず女と暮らしてたと言う話がある。
だから今は違う。全然違う。むしろ軽蔑。
だって、長女ですらまだ16歳だよ・・・一番小さいのは2歳・・・
その死を見届けなくてはならなかった母親の千重子さんの気持ちを考えたら・・・

でも西郷家だけじゃない。
会津のいたるところでこんな光景が見られた。
家老内藤介右衛門の家も然り、柴五郎の家も然り。
足手まといになることを恐れた老人や女子供は自ら死を選んだ。

一人で敵軍に

もう朝の4時近くだった。
なんか太陽がちょっと昇りはじめてた。

私とゆうとフレさん2名でジオン待ち。
連邦は全部揃っちゃってるから、警戒してジオンが全然入ってこない。

私はあまりにも人が来ないので、オトリとしてジオンに入ってみた。
ゆうは連邦の見知らぬ人を一人キックしてくれればいいのに、キックしにくいとか言ってしない。
フレさんが「ゲルキャ乗ろうか?」と言ってくれた。
せめて、このフレさんだけでもこっちに欲しい!!

しかし戦闘が始まってしまったニャ・・・

ゆう曰く「なおちゃんいないと不安・・・!」

ニャあぁぁぁぁぁぁぁぁッッ?!!

不安なのはこっちだニャ!
おまえの軍には格闘王子と汎用王子いんだろが・・・!
私はSザクの上に、その人達相手に戦わなきゃいけないんだぞ!!

とりあえず、フレさんを攻撃するのは憚られるのでゆう狙いでいく。
しかし、フレさん達がゆうをしっかり守ってるニャ・・・

一度カンパチ乗ったフレさんをバズハメしてみた。
でも半分くらい体力減らしたところで、やっぱり申し訳なくなって脱走。
フレさんは容赦なく私を追っかけてきて、BRをかまして私を撃墜。

ニャっ・・・・
ヒドいッ・・・!

でもちょっと萌えた。
ここでMっ気が活用されるとは・・・さすが変態。

あと格闘王子がジムスト乗ってたのよね・・・
王子カラーのジムストにイタぶられたい・・・(*´д`*)
圧倒的不利な状況にも関わらず、Mっ気が発現!!
しかし、王子の無防備な背中から下格くらわせてひっくり返したい願望も・・・・

MなのかSなのかハッキリしろニャ・・・・!

まぁ私が変態なのはいいとして、結局凹られて終わったニャ。
ひどい目にあったニャ。でもちょっと萌えたので良しとするニャ。