marine*sky+blue

武田史跡訪問2017-9

武田史跡めぐりに山梨県へ行って来ました~。

今まで2006年5月に1回、2007年4月に2回行ってます。
というわけで10年以上ぶりに行って来ました。

中央道に入るまでが結構遠いのですよね。
相模湖という入り口から入るのですが、そこまでが結構くねくねした道。
しかし!今は圏央道が出来たのです!
相模湖まで行かなくても厚木から圏央道に乗って、圏央道から中央道に入れちゃう。

行きは2時間程度で行けました~。

いつもは景徳院が最後になります。
神奈川よりなので、帰りがてらに寄るのです。

しかし、今回は一番初めに行ってみました。


四郎作古戦場。ここは小宮山内膳が奮戦したところ。


鳥居畑古戦場。勝頼が最後に陣を置いたところ。


姫ヶ淵。侍女達が川に身を投げたといわれています。


川の名前は日川。もともとは三日血川。怖すぎる名前です。


景徳院。武田勝頼墓所。
新羅三郎義光以来500年以上続いた甲斐武田の嫡流が滅亡した場所。
武田信玄が死んで10年ほどしか経っていませんでした。


山門。これは江戸時代当時の物だそう。
それ以外の御魂屋や本堂は火災により新しく建築したもの。


辞世の句が書いてあります。


御魂屋。甲将殿。この下・・・この下に家臣達の遺体がある気がする!
でも日本の土壌って酸性だから骨って結構溶けてなくなってしまうらしい。

勝頼(37歳)、北条夫人(19歳)、信勝(16歳)の生害石。
生害とは自殺することや殺すこと。
ここで死んだよということでしょうが、この石は後世置かれたものでしょうね。


左から信勝、勝頼、北条夫人のお墓。
更に左右には殉死した家臣や侍女のお墓。
甲将殿のすぐ裏にあるので正面から撮るのが難しい。

以前行った時発掘調査してました。↓

その時勝頼の宝篋印塔や北条夫人と信勝の五輪塔が移動してたので撮ったもの↓

発掘調査では人骨や武具等は出なかったそうで。
その代わりに江戸時代に墓を建てた時に埋められたお経を書いた石が4700個ほど埋められてた。
勝頼達の成仏を祈るためのものです。

2007年に実は平成の経石募集をしてたらしい・・・
1,000円払ってで石に字を一文字書ける。
新しいお墓を入れる時にその経石も入れてくれる!
うへぁ・・・しばらくしてから知ったよ(;´Д`)入れたかったな。


旗竪松。嫡男信勝に家督を譲り環甲の礼を行ったと言われてます。
もう武田家が滅ぶとわかっていて、それでも最後譲るというのが泣ける。
その時信勝が着たと言われている家宝の楯無鎧は現存します(国宝)
でも普段見れないんですよね・・・


景徳院本堂。曹洞宗のお寺です。


没頭地蔵尊。頭のな地蔵が3体。
首を取られた勝頼と信勝の遺体。
それと北条夫人の遺体が埋まってるかもしれないと言われてます。


首洗い池。
当時はこんなんじゃないでしょうが、勝頼の首が洗われた場所と言われてます。

今までに3回来ましたが、勝頼・信勝・北条夫人のことしか頭にありませんでした。
今回は一緒に戦って死んでいった家臣達。それから侍女達のことも調べてから来た。
でも数とか名前とかも書物によってまばらなんですよね。

勝頼家族3人を除いて、だいたい家臣は40人前後。
侍女や女性は20前後~40人前後と言われています。

私的には家臣が40人弱。女性が20人弱くらいではないかと。